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離婚を乗り越え、優しかった母に恩返しの道を

冬になると、温かいお鍋が恋しくなりますね。私にとって忘れられない冬の思い出は、母の作ってくれたきりたんぽ鍋を食べたこと。今は亡き私の母は秋田出身でしたので、毎年、冬になると、きりたんぽ鍋を作ってくれました。

母の作ってくれたきりたんぽ鍋

鍋ちくわ状にご飯を固めたきりたんぽのほかに、地ドリの比内ドリ、ネギ、シラタキ、ハクサイ、シイタケなどのキノコ類が入った鍋料理は秋田では冬のごちそうでした。湯気が立ち上るようになるまで煮込んで、フーフーと冷ましながらいただくのですが、食べているうちに体が温まってきて、とっても幸せな気持ちになってくるのです。お鍋が終わったら、ご飯を入れて雑炊にするのもよし、うどんを入れていただくのもまたよし、鶏のうま味とあっさりとしたしょう油味がマッチして、満足いっぱいになれます。

夜間高校の家庭科の先生だった母

私の母は、夜間高校で家庭科の先生をしていたのですが、生徒にとても優しく、親身になって接し、慕われていたようです。

私の声は母によく似ていたので、よく電話で間違われ、「先生、今週の調理は何を作るんですか?」などと聞かれることが何度もありました。

夜間高校では、さまざまな事情を抱えている生徒さんが多く、母はそういう生徒たちの良き姉であり、母であり、人生の先輩として温かく指導して見守っている様子でした。

脳腫瘍で亡くなった母が残してくれた格言

母は7年前、58歳のとき脳腫瘍で亡くなりましたが、私が生きていく上で必要な格言とでもいうものを残してくれました。――「人には親切にしなさい。そうすれば、自分が困ったときには助けていうれる人もいるから」……などです。

母は、一方で、教師という職業柄、人の評価をすごく気にする性格でした。生徒になめられないように、また、厳しく指導しなくてはならないなど、家庭に戻っても「教師」をやろうとするのでした。

離婚して家に戻った私に優しかった母

チューリップ私の父も教師で、生活指導をしていたために、「お前の偏差値は今どのくらいだ?」とか、「スカートが3センチ長いぞ」などと、とてもうるさく言う人でした。

その父との葛藤で、母はかなり悩んでいた様子でした。

私が離婚して子供を連れて実家に戻ったことも、世間体という面や、孫の教育が新たな荷になり、母に苦労をさせることになったと思います。

でも、母は、「孫の顔を見られて幸せだった」と言ってくれ、今は素直に、母への親孝行だったと思える自分でいます。

大自然の法則に出会い、自分の信念に沿って歩むことができ

私は、大自然の法則と出会ったことで、母とは違い、他人の評価は気にせずに自分の信念に従って生きていきたいと思うことができます。「最高」の観(おも)いを刻む毎日が、何よりも母への供養となるのですから。

今でも母がそばにいてくれないのが寂しいときもありますが、会社の同僚の方が大自然の法則に出会い、三法行(さんぽうぎょう)を始め、以前10月3日に天地大観法安法納したときに、不思議なことがありました。

「ありがとう。明日子が毎日頑張っているのを見ると、とてもうれしいよ」と、母が私の背中をなでてくれたような気がしたのです。母が生き返って、私のかたわらにいてくれているかのような気持ちになったのです。

自分の中に生きる母が誇らしく

夜中にふと鏡を見たとき、自分の姿が母自身に見え、ドキッとすることがあります。それほどに似ている母子でした。

私の母は「リンゴのほっぺ」と言われるくらいに色白がほほを際立たせる秋田美人で、きりたんぽ鍋のように温かい人柄でした。

私は、母の色白を受け継ぎましたが、体格はたくましく母譲りで温かい「秋田美人」。お母さんの子で良かったと思うことがよくあります。

これからも、お母さんの温かいおもいとともに、大自然をつかさどる「天」との出会いに恩返しをしていきたいと思っています。

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