iframe{ max-width:100%; } iframe{ max-width:100%; } 事故や病気を必要とせず、他界した家族を身近に感じて | 天華の救済 公式体験談サイト

事故や病気を必要とせず、他界した家族を身近に感じて

私は3人姉妹の次女として生まれました。父は、私が5歳のときに亡くなったので、ほとんど記憶にありません。一緒にどこかに行ったとか、遊んでもらったとか、そんなことすら覚えがなかったのです。

家で唯一の男性が祖父で

噴水私の家は、祖父と祖母、母、姉、妹の6人家族でした。私のすぐ上に兄がいたのですが、生まれて2週間で亡くなってしまったそうです。家で唯一の男性は祖父でした。私は子供心にも、どうしてこの家は男の人が絶えてしまうんだろう?なんて思っていました。

子供のころ、よくいろんなことを聞いても、祖父はすぐに答えてくれ、「おじいちゃん、なんでも知っててすごいなぁ!」とすごく尊敬していました。また、家族のために母と一緒に農業をしていたおじいちゃんは、男らしくて、たくましくて、頼れて、私は本当に大好きでした。今思うと、祖父は、「亡くなった父の代わりをやっていてくれたんだな。おじいちゃん、私たちのために本当にありがとうね」と感謝がわいてきます。

家を支えてくれた母

母はほとんど毎日仕事をしていました。土・日の休みの日も仕事をしていたので、母と一緒に遊びに行ったことなど、年に数えるくらいしかなかったような気がします。でも、家族のために忙しく働いている母のことを私は理解できずにいました。母とはたまにけんかをしたこともありました。

祖母は話好きで、冗談を言っては、私たち姉妹を笑わせてくれました。母が忙しい分、ほとんどの家事は祖母がやっていました。

事故のけがで入院した私を看病してくれた母

月日がたち、私も成長して社会人となって自立して家を出ました。それから数年後のある日、私は仕事の帰りに車を運転していて塀にぶつかり、入院することになってしまったのです。そのとき、いちもくさんに駆けつけてくれたのが母でした。

毎日忙しい母が、入院中ずっと私のそばにいて看病してくれたのです。そのときのことは今でも忘れられません。このときほど親子のきずなを感じたことはありませんでした。

退院してからもしばらく体の調子が思わしくなく病んでいた私でしたが、母はいつも冷静な態度で、しっかり私を見ていてくれていました。母には今でも力強いものを感じます。

問題を必要としない人間になり

それから1年後に、私は、大自然の法則と出会いました。問題を作る「頭」を取った私は、それまでと正反対にまで変わり、肚の底から喜べ、問題を必要としない人間になりました。それから5ヶ月後には、地域をお世話してくださっている方と引き合わせていただき、多くの方々と楽しく三法行(さんぽうぎょう)を繰り返すようになりました。

母も血液の病気を克服でき

花束そんなある日のこと、母が私を訪ねてきて「明日、血液の病気で入院するから」と言ったのです。私は母にこの病気がチャンスだと訴え、母も大自然の法則に出会い、「頭」を取って三法行を繰り返すようになったのです。

母は、「病気になって最高です。病気よ、ありがとう。どんなときでも喜んでいられる自分になれた」と言ってくれました。母は病気を問題としなくなり、健康な毎日を送っていました。

母とグレードアップした天華(てんか)三法行を行っていると、父や、他界した祖父母を身近に感じたものです。

安らかに旅立った母

母は、80歳で安らかに人生を終えましたが、その姿に、旅立った先は、私たちを見守ってくれることのできる天上界だと感じられました。母に恩返しができて、私は本当にうれしく思います。

大自然の法則をつかさどる天と出会えたことは、奇跡以上の出来事です。これもご先祖さまが私たちを導いてくれたんだなと、ただただ感謝でいっぱいです。

これからも地域の皆さんとともに天華三法行を繰り返し、よろこびに満ちた中で人生仕上げに向かって歩んでいきたいと思います。

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